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城満寺

(じょうまんじ)

城満寺は、徳島県海部郡海陽町吉田に位置する曹洞宗の古刹で、1291年(正応4年)に曹洞宗の太祖である瑩山紹瑾によって開山されました。この寺は、曹洞宗の中でも9番目に古く、四国で最も古い禅寺として知られています。また、その長い歴史と地域社会における影響力も高く、多くの修行僧が訪れる場所としての重要性を持っています。

城満寺の歴史

創建と開山

城満寺の創建は1291年に遡ります。この年、海部郡司が居城である吉田城下に瑩山紹瑾を招き、寺を建立しました。当時28歳であった瑩山紹瑾は、金沢の大乗寺で修行していた最中であり、城満寺がその人生において初めての開山地となりました。

瑩山紹瑾が城満寺に入寺した際には、随行していた5名の弟子、特に眼可鉄鏡らに対して戒が授けられ、彼らがその後の寺院運営の中心となりました。城満寺は、その後曹洞宗の中心的な修行の場として栄え、地域の文化に深く影響を与えてきました。

長宗我部元親の進攻による焼失

城満寺の初期の歴史は順調でしたが、1575年(天正3年)に土佐を統一した長宗我部元親の軍勢が阿波海部に進攻し、寺は戦火によって焼失しました。この出来事を機に、城満寺は約350年間もの間、廃寺となってしまいました。

大正時代の復興

城満寺が再び脚光を浴びるのは1925年(大正14年)になってからです。曹洞宗の僧侶であった戸田吾雄が、城満寺の復興計画を立てました。しかし、別の寺院の復興を優先したため、この計画は一時停滞します。しかし、1940年(昭和15年)に戸田の随行であった横関了胤が寺の跡地を調査し、地元住民の協力を得て復興への道が再び開かれました。

その後、曹洞宗大本山總持寺貫首の渡辺玄宗とその弟子渡辺頼應によって寺号が復活し、1952年に正式に城満寺として再興されました。この復興は、寺院だけでなく、地域社会に新たな活力をもたらしました。

現代における城満寺の再建

1950年代以降も、城満寺の復興は着実に進み、1973年には開山である瑩山紹瑾の分骨を拝請して開山塔が建立されました。その後も伽藍の整備が続き、1997年には本堂が完成し、隆盛を迎えました。さらに、2007年には坐禅堂が建立され、城満寺は修行の場として再び注目を集めるようになりました。

城満寺の見どころ

禅僧山と禅僧杉

城満寺の裏手には「禅僧山」と呼ばれる山があり、ここは瑩山紹瑾の弟子たちが坐禅修行に励んだ場所として知られています。この山には「禅僧杉」と呼ばれる巨大な杉が生育しており、その荘厳な姿はまるで修行に勤しむ禅僧を思わせます。訪れる者は、自然と一体化したこの場所で、心を落ち着かせることができるでしょう。

伽藍と本尊

城満寺の伽藍は、長い歴史の中で幾度となく再建されてきました。現在の伽藍は、特に1997年に建立された本堂が特徴的です。この本堂には、曹洞宗の開祖道元禅師の教えに基づく仏教的な要素が随所に反映されており、訪れた人々に深い感動を与えます。また、本尊である釈迦三尊像も見逃せない見どころの一つです。

年中行事

城満寺では、さまざまな年中行事が行われ、地域の信仰心を支えています。特に、正月の初祈祷会や春秋の彼岸会、8月の施食会などが有名です。これらの行事は、地域住民だけでなく、観光客にとっても貴重な仏教文化を体験できる機会です。

アクセス情報

公共交通機関を利用する場合

城満寺へは、JR牟岐線の阿波海南駅から徒歩約50分、もしくは車で約10分の距離にあります。また、阿佐海岸鉄道阿佐東線の海部駅からも徒歩で約50分ほどかかります。いずれのルートでも、自然豊かな風景を楽しみながらの道のりとなるため、観光の一環としても楽しむことができます。

車でのアクセス

自家用車を利用する場合、国道55号線を経由してアクセスするのが便利です。駐車場も完備されているため、車での訪問を考えている方にも安心です。

まとめ

城満寺は、四国で最も古い曹洞宗の寺院として、その歴史と文化的な重要性から多くの人々に親しまれています。長い廃寺の期間を経て、近代において復興を果たしたこの寺は、今なお修行僧や観光客を魅了し続けています。歴史的な建造物や自然と調和した伽藍群、そして豊かな禅の精神が息づくこの地を訪れ、心を清めてみてはいかがでしょうか。

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名称
城満寺
(じょうまんじ)

阿南・日和佐(美波)

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