黒瀧寺は、徳島県那賀郡那賀町にある高野山真言宗の寺院で、山号は龍王山と称されています。本尊は十一面観音で、四国八十八箇所霊場第二十一番太龍寺の奥の院にあたり、新四国曼荼羅霊場では第八十八番札所としても知られています。神秘的な歴史と美しい自然環境に囲まれたこの寺は、多くの参拝者や観光客を惹きつけています。
黒瀧寺の本尊は十一面観音で、その真言は「おん ろけい じんばら きりく」と唱えられます。また、御詠歌は次のように伝わっています。
御詠歌:うす雲に はるかに見ゆる 黒滝寺 瑠璃の岩間に 出(いづ)る加持水
黒瀧寺の創建に関する伝説は、延暦12年(793年)にさかのぼります。弘法大師(空海)が太龍寺で修行中に、神童(または神龍とも伝えられる)が現れ、那賀川上流にある黒滝山で大龍が暴れていると告げたことが始まりです。大師はその知らせを受け、那賀川を遡って黒滝山に到達。そこで虚空蔵菩薩を刻み、小堂を建て祈祷を行いました。
その後、大師は黒滝山の山上に登り、十一面観音を刻んで大龍を退散させる調伏を行いました。大龍は湖から退散し、竜王淵へと姿を消しましたが、空海に「閼伽井の水」という清らかな泉を贈りました。これが黒瀧寺の開創の由来であり、この霊水は現在も境内で湧き出ており、参拝者はこの水を飲むと苦難や難病が癒されると伝えられています。
戦国時代には、この地域の豪族であった細川貞光が寺周辺に砦を築き、黒瀧寺は僧兵によって守られる要塞化した寺院となりました。しかし、天正10年(1582年)、長宗我部元親が四国制覇を目指して阿波に進攻した際、寺は砦と共に焼き払われました。この際、僧兵や兵士の血で境内の池が真っ赤に染まったと伝えられています。現在では、かつての池は干上がり、湖跡庭園として整備されています。
黒瀧寺は江戸時代前期の元禄元年(1688年)、快弁という僧侶によって再興されました。再興の記念日は8月17日とされ、その日に快弁は完成を祝して踊りを披露したと伝えられています。これを記念して、現在でも毎年8月17日に「黒瀧まつり」が開催され、柴燈護摩が焚かれる他、快弁が伝えた黒瀧寺踊りも披露されます。
黒瀧寺の境内には、さまざまな見どころがあります。現在残る建物は、享保元年(1716年)から昭和31年(1956年)にかけて建設されたものであり、その歴史を感じさせるものばかりです。
黒瀧寺に入る際にまず目にするのが仁王門です。この門は、山門と鐘楼が一体化した構造で、寺院を守護する仁王像が両脇に配置されています。荘厳な雰囲気を持つこの門は、訪れる人々を霊場へと導く入口です。
本堂は黒瀧寺の中心であり、十一面観音が安置されています。ここでは、参拝者が祈りを捧げ、寺の歴史と伝統に触れることができます。本堂の周囲には静かな雰囲気が漂い、訪れる人々に安らぎを与えています。
大師堂は、弘法大師を祀る場所であり、黒瀧寺の重要なスポットの一つです。ここでは、弘法大師の足跡を感じながら、静かに祈りを捧げることができます。
本坊は僧侶の住居や修行の場として使用されており、寺の管理や祭事の中心となっています。また、参拝者が休息を取る場所としても利用されています。
黒瀧寺は四国八十八箇所霊場の第二十一番札所、太龍寺の奥の院として知られています。また、新四国曼荼羅霊場では第八十八番札所にあたり、霊場巡りをする人々にとって重要な場所です。
四国八十八箇所霊場の札所は次の通りです。
新四国曼荼羅霊場の札所は次の通りです。
黒瀧寺は自然豊かな場所に位置しており、四季折々の風景を楽しむことができます。特に紅葉の季節には美しい景色が広がり、多くの観光客が訪れます。寺院自体も歴史的価値が高く、文化財としての魅力も多いです。アクセス情報や観光の際に役立つ情報についても、現地の観光案内所で確認することをお勧めします。
黒瀧寺は徳島県那賀町にある歴史と伝説に彩られた高野山真言宗の寺院で、弘法大師による開創の伝説や、四国八十八箇所霊場の奥の院としての重要な役割を果たしています。四季折々の自然美とともに、多くの参拝者や観光客がこの霊場を訪れ、祈りを捧げる姿が見られます。黒瀧寺の豊かな歴史に触れ、自然の中で心を癒すひとときを過ごしてみてはいかがでしょうか。