宍喰八坂神社は、徳島県海陽町に位置する歴史ある神社です。この神社は、「宍喰祇園祭」を行うことで有名であり、日本三大祇園のひとつとされています。
宍喰八坂神社の創建年は不詳ですが、かつては「鷲住王」を氏神として祀っていました。その後、氏神が「素戔鳴尊(すさのおのみこと)」に変わり、神社の信仰も広まりました。古くは「祇園社」と称し、1718年(享保3年)には神階正一位を授けられ、正一位祇園牛頭天王と称しました。1872年(明治3年)には、現在の「八坂神社」という名称に改められました。
また、宍喰八坂神社で行われる「宍喰祇園祭」は、京都の八坂神社や広島県福山市の沼名前神社と共に、日本三大祇園祭のひとつとして知られています。この祇園祭は、文化庁の「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」にも指定されています。
毎年7月16日と17日に開催される「宍喰祇園祭」は、地元の人々にとって重要な伝統行事です。祭りでは、関船(せきぶね)やだんじりと呼ばれる豪華な山車が町中を練り歩き、夜店や花火も楽しむことができます。宵宮の16日には、夜店が立ち並び、奉納花火が打ち上げられます。そして、本宮の17日には、例大祭式、伝統芸能の奉納、餅投げが行われ、その後、神輿や4台のだんじり、関船が町を練り歩く姿は勇壮そのものです。
宍喰八坂神社は、須佐之男命を主祭神とし、京都の八坂神社、広島県福山市の沼名前神社と並び称され、日本三大祇園のひとつとして歴史的にも非常に重要な存在です。地元の人々にとって、この神社は庶民信仰の象徴であり、長い年月をかけて大切に守られてきました。
宍喰祇園祭では、各町の役割分担が重要な要素となっています。例えば、漁業者が八幡丸の関船の管理を担当し、郷分(久保以西10地域)の人々が大山や小山の山車の組み立てを行います。特に、日比原地区の住民は毎年、曳き綱を献上する役目を担っています。
また、だんじり3台はそれぞれ異なるグループが担当します。「金弊仲」は大工や左官職人で構成され、「商人仲」は西町の商人が担い、「鷲住仲」は西町の農業者と鍛冶屋町組が合併して構成されたグループです。さらに、稚児(ちご)の能楽舞は「祇園講」と呼ばれ、西町の子供たちが行います。
宍喰祇園祭の中心は、大山鉾(大山・小山)の曳行(えいこう)と稚児舞の奉納です。これらは、京都の祇園祭の影響を受けて地方に展開されたものであり、町全体が祭りの準備に参加し、その伝統を守り続けています。宍喰祇園祭は、地域の誇りと連帯感を象徴する行事です。
宍喰八坂神社の境内には、幹囲7.5メートルを誇る巨大な「夫婦楠(めおとぐす)」が存在します。この神木は、訪れる人々に安らぎを与え、長寿や家庭円満の象徴として崇敬されています。
宍喰八坂神社の主祭神は素戔鳴尊です。素戔鳴尊は、厄災を祓い、病気平癒や家内安全を守護するとされ、信仰の対象となっています。
宍喰八坂神社へのアクセスは、非常に便利です。最寄り駅は阿佐海岸鉄道の「宍喰駅」で、駅から徒歩で約2分の距離にあります。また、周辺には駐車場も整備されているため、車での訪問も可能です。
宍喰八坂神社は、地域の歴史と伝統を象徴する重要な神社であり、毎年行われる宍喰祇園祭は、日本三大祇園のひとつとして全国的にも有名です。素戔鳴尊を祭神とし、地域の人々によって守られ続けてきたこの神社は、訪れる人々に深い感動を与えます。歴史的な背景や祭りの詳細、そして職能による分担など、宍喰祇園祭の奥深さを知ることで、この地の魅力をさらに感じることができるでしょう。