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桂国寺

(けいこくじ)

徳島県阿南市長生町にある桂国寺は、曹洞宗に属する由緒ある寺院です。本尊は釈迦如来であり、山号は「金栗山」とされています。創建以来、何度かの困難を乗り越え、現在に至るまで長い歴史を刻んできました。本記事では、桂国寺の歴史や見どころ、交通手段について詳しく解説します。

桂国寺の概要

桂国寺は、長い歴史と深い信仰に支えられた曹洞宗の寺院です。徳島県阿南市に位置し、地域住民のみならず、観光客にとっても重要な訪問地となっています。特に、美しい庭園と静謐な雰囲気が魅力で、多くの人々が訪れています。

桂国寺の歴史

桂国寺の創建は、1413年(応永20年)に遡ります。当時、周防国の泰雲寺の住職であった全庵一藺(ぜんあん いちいん)が晩年を過ごす隠居寺として建てられました。しかし、その後、永禄年間(1558年-1570年)の兵火や、1582年(天正10年)の長宗我部元親による戦火によって二度にわたり焼失しました。桂国寺は、その度に再建され、蜂須賀家政によって再興されました。

桂国寺庭園

作庭の歴史

桂国寺の庭園は、安土桃山時代から江戸時代にかけて活躍した大名であり、茶人としても知られる上田宗箇(うえだ そうこ)が作庭したことで有名です。上田宗箇は千利休に師事し、茶道の深い知識を持ち、作庭家としても高名でした。その後、平成初期には、日本庭園研究会会長を務めた作庭家の吉河功によって再整備が行われました。

庭園の特徴

桂国寺庭園は、枯山水と池泉回遊式の要素を融合させた書院庭園です。この庭園は、静かな佇まいの中に力強さを感じさせ、訪れる人々に心の安らぎを与えます。また、庭園の四季折々の風景は、美しさを際立たせ、多くの庭園愛好者や観光客を魅了しています。

名勝指定

1999年(平成11年)11月22日、桂国寺庭園は阿南市の名勝に指定され、その文化的価値が広く認められました。

桂国寺へのアクセス

交通手段

桂国寺へは、JR牟岐線「阿南駅」から車で約10分でアクセスすることができます。公共交通機関を利用する場合でも、比較的訪れやすい立地となっています。

上田宗箇:武将としての顔と茶人としての業績

桂国寺庭園を作庭した上田宗箇(本名:上田重安)は、安土桃山時代の武将であり、大名でもありました。彼は、武将としての戦功のみならず、茶道や造園においても多くの業績を残しました。以下に、上田宗箇の生涯と業績を紹介します。

上田宗箇の概要

上田宗箇(上田重安)は、戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した武将です。彼は、茶道を千利休から学び、後に上田宗箇流を創設しました。また、作庭家としても名を馳せ、徳島城や和歌山城の庭園の設計を手掛けました。

生い立ちと武功

永禄6年(1563年)、上田重元の子として尾張国(現在の愛知県名古屋市)に生まれました。彼は、丹羽長秀に仕え、本能寺の変の際には、敵方の首を挙げるなどの武功を立てました。その後、豊臣秀吉に仕え、様々な戦いで活躍しましたが、関ヶ原の戦いでは西軍につき、敗戦後には領地を失いました。

茶人としての上田宗箇

戦国武将としての一面を持つ一方で、上田宗箇は茶人としても高い評価を得ています。彼は、千利休や古田織部から茶道を学び、上田宗箇流の祖となりました。また、彼が手掛けた庭園は、日本の茶道文化と深く結びついており、その美しさと静けさは多くの人々を魅了しています。

晩年と死

上田宗箇は、晩年には阿波国徳島で過ごし、徳島城の庭園を手掛けるなど、作庭家としても多くの業績を残しました。彼は88歳で亡くなり、墓所は広島県廿日市市沖塩屋にあります。

関連情報

上田宗箇が手掛けたその他の庭園

上田宗箇は、桂国寺庭園以外にも、以下の庭園を手掛けました。

関連作品

上田宗箇の生涯は、文学や芸術の世界でも取り上げられてきました。以下は、彼に関する主な作品です。

桂国寺を訪れて

桂国寺は、歴史ある建築と美しい庭園が調和した、心静まる場所です。上田宗箇が手掛けた庭園の美しさは、季節ごとに変化し、訪れる度に新たな発見があります。歴史と文化、そして自然を感じながら、ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。

アクセスも良好で、阿南市周辺の観光スポットとしてもおすすめです。桂国寺でのひとときが、心に残る特別な体験となることでしょう。

Information

名称
桂国寺
(けいこくじ)

阿南・日和佐(美波)

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