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西照神社(月神の宮)

(にしてる じんじゃ)

西照神社は、徳島県美馬市脇町に位置し、「月神の宮」とも称されています。式内小社で、旧社格は郷社に属しており、主祭神には月夜見大神(月読尊)、そして配神には宗像三女神である田寸津姫命、田心姫命、市杵島姫命が祀られています。

概要

西照神社は、徳島県美馬市と香川県高松市の境界に位置する大滝山山頂(946メートル)のすぐ下に鎮座しています。この神社は『延喜式神名帳』に記された田寸神社(たきじんじゃ)の論社としても知られています。

神社の起源

神社の起源は、神話にさかのぼります。社伝によると、夜の食国(よるのおすくに)を治める神である月読尊が、大和国方面の監視役として田寸津姫命を大滝山に派遣し、ここから瀬戸内海を監視させたことに始まるとされています。この神話的背景が、現在の西照神社の成立に深く関わっていると伝えられています。

平安時代からの歴史

平安時代初期には、弘法大師・空海がこの山に籠もって修行を行い、西照大権現を安置したことから、神仏混淆の山岳道場としての性格を帯びるようになりました。以降、明治時代に至るまで「西照権現」として信仰され、江戸時代には徳島藩家老の稲田氏や高松藩主の崇敬を受け、社領や営繕費が寄進されるなど、篤い庇護を受けていました。

明治時代の神仏分離と神社の再編

明治時代初期の神仏分離令により、神社と隣接する寺院である大瀧寺が分離され、神社は「西照神社」と改称されました。そして、1873年(明治6年)には郷社に列せられ、現在に至るまで地域の信仰の中心として親しまれています。

狛犬の伝説

西照神社には、天保14年(1843年)に奉納された狛犬があり、この狛犬には興味深い伝説が残っています。ある夏の夜、母子が狼に追われて神社の祠に逃げ込みました。狼が襲いかかろうとしたその瞬間、狛犬が動いて狼を撃退し、母子を守ったとされています。この伝説は今なお語り継がれており、神社の守護神としての狛犬の存在を強く感じさせます。

なお、この伝説の狛犬像は老朽化により現在は本殿下の安全な場所に移されていますが、代わりに新しい狛犬の石像が設置され、昔の狛犬の元の場所を守っています。

境内の見どころ

一の鳥居

一の鳥居は、神社への入口を象徴しており、車道の脇に建っています。この鳥居をくぐると、境内へと続く石段が現れ、神聖な雰囲気を醸し出しています。

社務所と神楽殿

境内には社務所や神楽殿があり、祭事の際には神楽が奉納される場として利用されています。広場もあり、参拝者が憩う場となっています。

本社(拝殿・本殿)

神社の中心には、拝殿と本殿が鎮座しており、参拝者はここで祈りを捧げます。荘厳な雰囲気が漂い、古くからの歴史を感じさせる建築様式が見どころです。

稲荷神社

境内には稲荷神社もあり、宇迦之御魂大神が祭神として祀られています。拝殿と本殿が一体となった社殿は、独特の雰囲気を持っています。

熊野神社

熊野神社は、熊野権現、伊邪那岐大神、伊邪那美大神が祭神として祀られています。この神社はもともと大滝山の奥之院に祀られていた大権現を昭和初期に移したもので、神仏習合の名残を感じさせます。

八大龍王神社

八大龍王神社では、難陀(なんだ)、跋難陀(ばつなんだ)、娑伽羅(しゃから)、和修吉(わしゅきち)、徳叉迦(とくしゃか)、阿那婆達多(あなばだった)、摩那斯(まなし)、優鉢羅(うはつら)の八大龍王が祭神として祀られています。石造りの祠が特徴的で、参拝者は龍神への祈願を行います。

祈りの石の場と「月の木馬」

境内には「祈りの石の場」として、静かに祈りを捧げる場所が設けられています。また、画家・福家晴代氏が描いた神馬の絵画「月の木馬」が展示されており、2019年11月10日に完成式が行われました。この絵は神社の象徴として、参拝者に強い印象を与えます。

アクセスと参道

西照神社へは、県道106号線を進み、大滝寺を通過した東側の峠脇に駐車場があります。そこから東側の参道を約50メートル歩くと、神社の境内に到達します。山の中腹に位置する神社は、自然の静寂と調和した神聖な空間となっています。

Information

名称
西照神社(月神の宮)
(にしてる じんじゃ)

大歩危・小歩危・祖谷渓

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