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吉田家住宅(徳島県美馬市)

(よしだけ じゅうたく)

吉田家住宅は、徳島県美馬市脇町大字脇町に位置する歴史的建造物です。商家として発展したこの住宅は、国の重要伝統的建造物群保存地区「脇町南町」に指定されています。江戸時代の藍商「佐直」として栄えた歴史的背景を持ち、現在もその壮大な屋敷と歴史を訪れることができます。

概要

吉田家住宅は、寛政4年(1792年)に創業した藍商・吉田直兵衛の住まいとして建てられました。屋号を「佐直(さなお)」とし、脇町でも一、二を争う豪商として知られていました。敷地は約600坪に及び、江戸時代中期から後期にかけて建てられた主屋、質蔵、藍蔵などの建物が中庭を囲む形で配置されています。住宅には、吉田家の家系書や歴代記録が伝わっており、これらは地元の歴史を知る上で重要な資料となっています。邸内には25室があり、表八畳の座敷は「御成の間」と呼ばれ、格式高い部屋として使われていました。

施設情報

現在、吉田家住宅は観光施設として一般公開されています。敷地内にある歴史的建造物や中庭を見学することができ、藍商の歴史を体感できる貴重な場所となっています。

藍商「佐直」について

吉田直兵衛が寛政4年(1792年)に創業した藍商で、屋号は「佐直」と称されました。藍商は藍染めの原料を販売する商人で、特に幕末から明治時代にかけて繁栄しました。徳島県の吉野川流域は藍草の一大産地として発展し、その集散地として脇町が中心的な役割を果たしていました。

「佐直」は脇町の豪商としてその名を轟かせ、敷地は間口十一間、奥行き三十間の広大な商家でした。屋内には商談を行う店の間や帳場、使用人部屋、藍蔵などが設けられており、往時の繁栄ぶりを物語っています。裏手には吉野川の名残を感じさせる雁木石段があり、かつてはここが船着場として利用されていました。また、家屋には火災対策として「卯建」などの防火設備も備わっていました。平成11年には、吉田家住宅は脇町指定の有形文化財として認定されました。

藍の商い

藍商が各地の染め業者(紺屋)に提供していた藍染めの原料は、粒状の「すくも」やそれを固めた「藍玉」です。藍の葉からこれらを作るには非常に手間がかかり、この作業を専門に行う業者は「藍師」と呼ばれました。

藍商「佐直」でも、藍作農家から集めた藍の葉を「寝床」と呼ばれる作業場で発酵させ、「すくも」や「藍玉」を製造していました。現在、吉田家住宅の藍の寝床は「情報センター」として利用されています。

防火の工夫

江戸時代、脇町は火災の被害を幾度も受けており、防火構造が重視されました。商家が密集する脇町では、卯建(うだつ)という2階の壁から突き出た小さな壁が防火壁の役割を果たしていました。さらに、虫籠窓(むしこまど)と呼ばれる窓も設置され、窓からの延焼を防ぐための工夫が施されていました。

3度に亘る普請

吉田家住宅は、創業当時に移築された民家でしたが、その後3度にわたる大規模な改修が行われました。最初は天保6年(1835年)に西棟が改修され、主座敷や「御成玄関」と呼ばれる玄関が設けられました。次に安政7年(1860年)には、東棟の2階部分が拡張され、商業活動の拡大に伴い労働者の寝床や商品を保管するスペースが増築されました。最後の改修は慶応元年(1865年)で、南棟が改修され、主人や家族の生活スペースが整備されました。

卯建があがる町並み

吉田家住宅がある南町通り(うだつの町並み)は、藍商をはじめとする多くの商家が建ち並び、藍染めで栄えた時代の繁栄を今に伝えています。この通りの商家は、本瓦葺きに大壁づくりの重厚な構造を持ち、隣家と接する2階部分に卯建を設けています。

「卯建があがる」とは商売が繁盛する様子を表現したことわざですが、逆に「卯建があがらない」という言葉は店が繁盛しないことを意味しました。南町通りは昭和63年に全国で28番目の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、現在も当時の繁栄を感じさせる町並みが残されています。

アクセス

脇町ICから車で約10分(道の駅「藍ランドうだつ」近く)

Information

名称
吉田家住宅(徳島県美馬市)
(よしだけ じゅうたく)

大歩危・小歩危・祖谷渓

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