神社の概要
焼山寺との関係
十二社神社は、四国霊場として有名な焼山寺の境内に位置しています。焼山寺は四国八十八箇所霊場の第十二番札所として、全国から多くの参拝者が訪れる寺院です。神社もまた、この寺院との深い繋がりを持ちながら、長い歴史を刻んできました。
熊野神社との繋がり
古老の伝承によれば、十二社神社は熊野神社の分霊を祀っているとされています。熊野信仰は日本各地に広がっており、十二社神社もその一部として崇敬されてきました。神社名にある「十二社」は、神仏習合の影響を色濃く受けた名残であり、複数の神々を祀る伝統が残されています。
神社の歴史
創建と焼山寺の火災
十二社神社の創建年は不明ですが、天正年間(1573年 - 1593年)以前の本社の記録は、別当の焼山寺に保存されていたとされています。しかし、文禄4年(1560年)に焼山寺で発生した火災により、古書はすべて焼失してしまいました。このため、創建当初の詳細な記録は残されていませんが、長い歴史を持つことが伺えます。
慶長2年の社殿改築
十二社神社の現存する最も古い記録は、慶長2年(1597年)5月に社殿を改築した際の棟札(むなふだ)です。この記録は、神社の再建に関する貴重な資料となっています。
「寛保改神社帳」の記載
また、「寛保(1741年 - 1744年)改神社帳」には、「左右内社十二社権現別当左右内村焼山寺」と記されており、当時は「十二社権現」と呼ばれていたことが分かります。この名は、神仏習合の影響を受けた時代の呼称であり、仏教と神道が共存していたことを示しています。
万延元年の社殿再建と神仏分離
現在の社殿は、万延元年(1860年)に建立されたもので、当初は「十二社大権現」と称されていました。しかし、明治初年の神仏分離令の影響を受け、神仏習合が廃止され、神社の名称も「十二社神社」と改称されました。さらに、明治43年(1910年)には、近隣の小祠20社が合祀され、地域の神社としてさらに発展しました。
境内の見どころ
狛犬
十二社神社の境内には、左右に狛犬が鎮座しています。これらの狛犬は、参拝者を守護する存在として知られており、神社を訪れる人々に厳かな雰囲気を与えています。左側と右側に一対の狛犬が配置され、それぞれに異なる表情や造形が見られるのが特徴です。
拝殿と本殿
神社の中心には、拝殿と本殿が立ち並び、参拝者を迎え入れています。拝殿は参拝者が祈りを捧げる場であり、荘厳な雰囲気が漂っています。また、本殿は神々が鎮座する場所であり、厳粛な造りが特徴です。
祭神
天神七代と地神五代
十二社神社の祭神は、天神七代と地神五代とされています。これらの神々は、天地創造の神々であり、日本神話における重要な神々として崇敬されています。天神七代は、天の神々の世代を指し、地神五代は地の神々の世代を指します。このように、天地両方の神々を祀ることで、天地万物の調和を祈願しています。
アクセス情報
十二社神社は、徳島県内でも比較的アクセスしやすい場所に位置しています。JR「徳島駅」より車で約60分、または徳島自動車道「藍住インターチェンジ」から車で約75分の距離にあります。自然豊かな神山町を訪れる際には、焼山寺と共に立ち寄るのもおすすめです。
まとめ
十二社神社は、徳島県神山町に位置する神社で、焼山寺と深い繋がりを持ちながら、その歴史を刻んできました。神仏習合の時代から続く古社であり、熊野神社の分霊を祀るという伝承や、長い歴史の中で数々の再建や改築を経て現在に至っています。神仏分離後も地域の信仰の中心として、多くの人々に親しまれています。