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光耀山 千手院 観音寺

(こうようざん せんじゅいん かんおんじ)

観音寺は、徳島県徳島市国府町観音寺に位置し、高野山真言宗に属する歴史的な寺院です。山号は光耀山、院号は千手院、四国八十八箇所巡礼の第十六番札所であり、阿波西国三十三観音霊場(東部)の第32番札所でもあります。本尊として千手観世音菩薩が祀られており、訪れる巡礼者や観光客に信仰を集めています。

観音寺と香川県観音寺の違い

興味深い点として、同じ四国八十八箇所巡礼において、香川県にも観音寺(かんのんじ)という同じ漢字で書かれる寺が存在します。ただし、こちらは第六十九番札所であり、読み方も「かんのんじ」となっています。また、この香川県の観音寺がある市名は「観音寺市」と書かれますが、読みは「かんおんじ」です。徳島の観音寺と香川の観音寺は同じ漢字を使用していながら、読み方が異なる点が特徴的です。

観音寺の歴史

創建と聖武天皇の勅命

観音寺の歴史は、聖武天皇の時代にさかのぼります。聖武天皇が国分寺建立の勅命を発布した際、行基により勅願道場として建立されました。その後、弘仁7年(816年)に、弘法大師(空海)が巡錫した際に本尊である千手観音像を刻み、脇侍に不動明王と毘沙門天を安置しました。これが現在の観音寺の始まりであり、寺名もこの時に改められたとされています。

長宗我部元親による焼失と再建

天正年間(1573年 – 1592年)には、長宗我部元親による兵火で観音寺は焼失しました。しかし、万治2年(1659年)に、阿波藩主であった蜂須賀光隆の支援を受け、宥応法師が寺を再建しました。この再建以降、観音寺は再び地域の信仰の中心となり、現在に至っています。

観音寺の境内

観音寺の境内には、歴史と信仰の象徴となる多くの建造物や仏像が配置されています。その佇まいは、訪れる人々に静寂と敬虔な空気を感じさせます。

山門

山門は和様の堂々とした楼門で、こぢんまりとした境内に重みを加えています。この門をくぐると、観音寺の厳かな雰囲気に包まれることでしょう。

本堂

境内の正面奥には本堂がそびえ立ちます。ここでは千手観世音菩薩が祀られており、多くの参拝者が訪れます。本堂の前には水子地蔵尊や仏足石、修行大師像があり、参拝者はそれぞれに手を合わせます。

大師堂

本堂の手前右手には、大師堂が建てられています。毎年2月20日前後には、結集の日として特別な開帳が行われ、多くの人々が集まります。

庚申堂・夜鳴き地蔵尊・水子地蔵尊

庚申堂や夜鳴き地蔵尊、水子地蔵尊など、さまざまな仏像が境内には点在しています。特に夜鳴き地蔵尊は、子どもの夜鳴きにご利益があるとされ、多くの家族が訪れます。

八幡総社両神社

境内の本堂右脇には、八幡大神宮(国府八幡)と惣社大御神(阿波総社)を合祀した八幡総社両神社があります。元は南方500メートルにある総社が原に大規模な旧社地が存在していたと言われていますが、現在は観音寺の境内に移設されています。

観音寺の寺宝

観音寺にはいくつかの貴重な寺宝が所蔵されています。

観音寺縁起

観音寺縁起は、観音寺の由来や歴史が記された巻物であり、寺の歴史を伝える重要な資料です。

光明真言印判

光明真言印判は、弘法大師の筆跡を刻印したものとされています。参拝者は、白衣の両襟にこの印判を押してもらうことができ、手数料は2000円です。ただし、納経所員の出勤状況や団体参拝などで繁忙時には対応できない場合もあります。

本尊真言

「おん ばさら たらま きりく」

ご詠歌

「忘れずも 導きたまへ観音寺 西方世界弥陀の浄土へ」

観音寺へのアクセス

観音寺は徳島市の中心部からアクセスが便利な立地にあります。以下に交通手段をまとめます。

鉄道

四国旅客鉄道(JR四国)の徳島線「府中駅」から下車し、そこから約1.2キロメートルの距離に位置しています。

バス

徳島バスの鴨島線、神山線(石井経由)、石井・高原線、石井上板線のいずれかを利用し、「観音寺北」バス停で下車すると、徒歩約400メートルで到着します。

自動車

国道192号を経由し、国府町観音寺交差点から約300メートルの距離にあります。高速道路を利用する場合は、徳島自動車道の藍住インターチェンジから約6.8キロメートル、高松自動車道の板野インターチェンジからは約10キロメートルの距離です。

駐車場

観音寺には5台分の無料駐車場が用意されています。観光シーズンや特別な行事が行われる時期には、早めの到着が推奨されます。

Information

名称
光耀山 千手院 観音寺
(こうようざん せんじゅいん かんおんじ)

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