徳島城の歴史と庭園の背景
徳島城は、阿波・淡路両国を治めていた蜂須賀家の居城であり、その表御殿に併設された庭園がこの旧徳島城表御殿庭園です。庭園は、江戸時代初期に茶人としても名高い武将、上田宗箇(うえだそうこ)によって築かれました。彼の手がけた庭園は、石組みによる桃山様式を特徴とし、武士の豪壮さと茶人の繊細さが融合した美しい空間です。
枯山水と池泉回遊式の庭園
庭園は、枯山水と池泉回遊式庭園という、二つの異なるスタイルが調和して設計されています。枯山水では水を使用せず、石や砂で自然の風景を表現しています。一方、池泉回遊式庭園では実際の池を中心に庭が設けられ、池を巡りながらその景観を楽しむことができます。特に注目すべきは、「阿波の青石」と呼ばれる緑色片岩を多用している点で、庭園全体にこの石が使用され、独特の風格を醸し出しています。
潮入り庭園としての特徴
徳島城表御殿庭園は、数寄屋橋の下を通して地下水路から内堀の海水を導入し、潮の満ち引きによって庭の水位が変動する「潮入り庭園」としての特徴を持っています。この仕掛けにより、藩主は城内にいながらにして潮の干満を楽しむことができました。水の動きによって、庭園に刻々と変化する表情が見られる点は、他の庭園にはない魅力のひとつです。
庭園内の見どころ
青石橋と蜂須賀至鎮の伝説
この庭園の枯山水に架かる「青石橋」は、長さ10.35メートル、重さ約13トンもの自然石で造られています。この橋には、徳島藩初代藩主である蜂須賀至鎮(はちすか よししげ)が自ら踏み割ったという伝説が残されています。中央で折れている橋は、その力強さと豪胆な性格を象徴しているかのようであり、「義伝の踏割石」や「地団駄橋」として知られています。
豪華な切石橋
枯山水庭園内には、もう一つの見どころとして、御影石(花崗岩)を加工して作られた豪華な「切石橋」があります。この橋は長さ6メートルで、桃山様式の庭園らしい豪奢な造りが特徴です。橋が多用された庭園は、桃山時代の美的感覚を反映しており、当時の趣向を偲ばせます。
陰陽石と繁栄の象徴
東部築山には「陰陽石」と呼ばれる巨石があり、子孫繁栄を祈る象徴とされています。この石は髑髏(どくろ)にも見立てられることがあり、その内部に耳を寄せると「地獄の釜がたぎる音が聞こえる」という伝説も伝わっています。このような石の配置は、当時の風習や信仰心を反映したものであり、庭園全体に歴史的な奥行きを与えています。
自然の美と人工の調和
心字池と潮の満ち引き
庭園内には「心字池」と呼ばれる池があり、草書体の「心」という字を象る形でデザインされています。この池は自然湧出水によって水が満たされており、潮の満ち引きと連動して水位が変わる仕掛けが施されています。池の変化を藩主が居間にいながら楽しむことができたというエピソードは、この庭園がいかに緻密な設計であったかを物語っています。
自然石の井戸と井筒
庭園内には複数の井戸が掘られ、その中でも特に目を引くのが、御影石(花崗岩)をくり抜いて作られた豪華な井筒です。この井戸は飲み水の確保のために設けられたもので、下部には緑泥片岩が積まれており、当時の建築技術と自然素材の融合を見ることができます。徳島藩時代の庭園管理の技術と知恵が凝縮されたこの井筒は、庭園の歴史的な価値をさらに高めています。
歴史的な遺構とその文化的価値
観音堂跡と御祠堂跡
庭園内には、かつて「観音堂」が建てられていた跡地があります。この観音堂は、藩主が居住する御殿の「鬼門」にあたる位置に建てられ、藩主家の守護を願って観音が祀られていました。また、「御祠堂跡」は、藩主の先祖を祀る場所として安永9年(1780年)に設けられました。これらの歴史的遺構は、庭園が単なる景観ではなく、藩主家の信仰や文化的価値を体現する場所であったことを示しています。
庭園へのアクセスと観光情報
所在地と交通アクセス
旧徳島城表御殿庭園は、徳島県徳島市徳島町城内の徳島中央公園内にあります。JR徳島駅から徒歩8分という非常に便利な立地にあり、徳島城博物館の隣に位置しています。公園内には、他にも「鷲の門」などの歴史的な建造物があり、庭園と併せて訪れることで、より深く徳島の歴史を感じることができるでしょう。
庭園の基本情報
旧徳島城表御殿庭園の面積は9917.35平方メートル、そのうち5024.79平方メートルが国の名勝に指定されています。昭和16年(1941年)12月13日に名勝指定され、以来、多くの観光客にその美しさを提供しています。庭園の見学は、四季折々の自然の変化とともに異なる風情を楽しむことができ、訪れるたびに新たな発見があることでしょう。
この庭園は、日本の伝統文化や歴史を感じることができる貴重な場所です。観光や歴史探訪を楽しむだけでなく、静かに佇みながら日本庭園の美学を堪能するのもおすすめです。