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ポルトガル・レイリア大通り

ポルトガル・レイリア大通りは、徳島県徳島市方上町を通過する徳島県道209号八多法花線の道路に付けられた通称で、2006年に命名されました。この通りは徳島市とポルトガルのレイリア市の友好の象徴として存在しています。徳島市とレイリア市は1969年に姉妹都市提携を結び、その絆を記念して名付けられました。また、レイリア市にも「徳島通り」が存在し、両市の交流の深さを物語っています。

通りの命名と背景

2006年11月、徳島日本ポルトガル協会、NPO法人弁天山保存会、阿波徳島ロータリークラブの3団体が協力して、この通りを「ポルトガル・レイリア大通り」と命名しました。通りは、徳島市の大谷西須賀交差点から徳島市総合動植物公園までの約2kmにわたって続いています。

この通りの沿道には、さまざまな名所が点在しており、徳島市の歴史や文化を感じることができるスポットが豊富です。次のセクションでは、その主な名所について詳しく紹介します。

ポルトガルゆかりの東海寺

ポルトガル・レイリア大通りの近くには、徳島で晩年を過ごしたポルトガルの文人ヴェンセスラウ・デ・モラエスゆかりの寺、東海寺があります。モラエスは徳島に移住し、地元の住職と親しく交わりながら晩年を過ごしました。寺にはモラエスの遺髪が保管されており、彼の妻ヨネやヨネの姪であるコハルの遺髪も一緒に供養されています。

東海寺の歴史と文化

東海寺は、徳島市北山町に位置する高野山真言宗の寺院で、山号は国伝山、院号は地蔵院といいます。元々は観音寺と称していましたが、元和2年(1616年)に本尊が現在の観音寺に移された後、地蔵菩薩を本尊として現在の名に改められました。寺の周囲には「ポルトガル・レイリア大通り」と命名された徳島県道209号線が走り、モラエスとのつながりを今も感じさせます。

弁天山 - 自然の山として日本一低い山

もう一つの見どころは、弁天山です。弁天山は標高6.1mと、自然にできた山の中では日本一低い山とされています。徳島市のホームページによると、この事実は国土地理院発行の地形図にも記載されています。弁天山は「とくしま市民遺産」にも指定されており、その独特の地理的特徴が注目されています。

弁天山の登山体験

弁天山は非常に低いことから、登山はわずか1分ほどで完了します。山道は階段とスロープで舗装されており、手すりも設けられているため、どなたでも安全に登ることができます。さらに、毎年6月1日には、標高にちなんだ「山開き」が行われ、地元住民や観光客で賑わいます。

弁天山の歴史と信仰

弁天山の歴史は古く、源義経が元暦2年(1185年)に小松島に上陸し、弁天山南西の山を越えて讃岐壇ノ浦に進行したという伝説があります。当時は海に浮かぶ小島だった弁天山も、室町時代には潮が引き、現在の小山になりました。山頂には市杵島姫命を祭神とする厳島神社が祀られ、弁財天として地元の人々に信仰されています。

徳島市総合動植物公園

「ポルトガル・レイリア大通り」の終点には、徳島市総合動植物公園が広がっています。この公園は、とくしま動物園とくしま植物園、そして家族向けのとくしまファミリーランドから構成されており、家族連れや自然愛好家に人気のスポットです。

とくしま動物園

とくしま動物園では、多様な動物たちと触れ合うことができ、特に子供たちに大人気です。広大な敷地には、ライオンやキリンなどの大型動物から、小さな動物まで、多くの生き物が暮らしています。動物園では、動物たちの生活を間近で観察できるだけでなく、動物保護や環境教育に力を入れている点も特徴です。

とくしま植物園

とくしま植物園は、四季折々の美しい花や植物を楽しむことができる場所で、特に春や秋には多くの観光客が訪れます。日本の植物だけでなく、世界各地の珍しい植物も展示されており、植物愛好家にとっては見逃せないスポットです。また、植物園内には、ピクニックエリアやカフェも併設されており、ゆったりとした時間を過ごすことができます。

とくしまファミリーランド

ファミリーランドは、小さな子供たちから大人まで楽しめるアミューズメントパークです。観覧車やメリーゴーランドといった伝統的な遊具に加え、最新のアトラクションも楽しめるため、家族連れに最適なレジャースポットとなっています。

ヴェンセスラウ・デ・モラエス - 徳島とポルトガルの架け橋

ポルトガル・レイリア大通りや東海寺と深い関わりを持つヴェンセスラウ・デ・モラエスは、徳島に住んだポルトガルの軍人、外交官、そして文筆家です。彼は1854年にリスボンで生まれ、1889年に初来日し、神戸でのポルトガル副領事や総領事を歴任しました。

モラエスの徳島での生活

モラエスは日本文化に深く魅了され、神戸で日本人の女性、ヨネと出会い、彼女と共に暮らしました。1912年にヨネが亡くなると、彼は職を辞して徳島へ移住し、ヨネの故郷である徳島市で晩年を過ごしました。しかし、ヨネの姪コハルとも先立たれ、1929年に孤独の中で亡くなりました。

モラエスの遺産と記念碑

モラエスは、徳島の潮音寺に埋葬されており、彼の墓の隣にはヨネとコハルの墓も並んでいます。また、東海寺には彼らの位牌が納められており、徳島市民や訪れる観光客によって今も供養されています。彼の存在は、徳島とポルトガルの架け橋として、現在も多くの人々に記憶されています。

Information

名称
ポルトガル・レイリア大通り

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徳島県