明王院は、徳島県阿波市阿波町に位置する高野山真言宗の寺院であり、その山号は磨日山、本尊は不動明王と阿弥陀如来です。この寺院は四国三十六不動尊霊場の第2番札所として知られています。
「ありがたや 吉野川辺の 磨日山 ゆかりもふかき 南無不動尊」
明王院は、美しい自然に囲まれた寺院で、境内からは吉野川の堰堤を一望でき、その風景は非常に開放的です。本堂の背後にある小山には、多くの石仏や五輪塔が点在し、訪れる人々に歴史の重みを感じさせます。また、春には境内に咲き誇る数種の桜が、訪れる人々の目を楽しませます。
明王院の本尊である不動明王は「鼠不動(ねずみふどう)」と呼ばれています。この不動明王は、かつて米を食い荒らすネズミを追い払い、豊作への祈願が捧げられたと伝えられています。そのため、厄除け祈願や学業成就の御利益もあるとされています。
「鼠不動」の名前には、興味深い伝説が伝わっています。昔、この寺に仕える寺男が、供えた仏飯がネズミに食べられて困っていたため、不動明王に「ネズミに食べられないように」と祈願しました。すると、翌朝、不動明王の剣にネズミが刺さっており、それ以降、仏飯がネズミに食べられることはなくなったと言います。この話が広まると、近郊の人々が「鼠不動」と呼ぶようになり、多くの人々が御札を受けに訪れるようになりました。
明王院は、830年頃(天長年間)に弘法大師空海が、吉野川の「谷島渡し」と呼ばれる渡し舟の舟着場付近に一宇を創建したのが始まりとされています。室町時代には、藩主であった細川氏の祈願所となり、地元において重要な役割を果たしていました。
しかし、1543年(天文13年)の吉野川の大洪水によって、本堂を含む寺の建物が流失し、本尊を含む仏像は川島城に流れ着き、一時的に長楽寺に安置されました。その後、1622年(元和8年)に現在の地に再興され、中本寺の格式を与えられることで、旧阿波郡や麻植郡の寺務を統括する重要な存在となりました。
明王院には以下のような伽藍が存在します。
阿弥陀如来を本尊として祀る持仏堂があります。境内の一角に位置しており、訪れる参拝者に静かな安らぎを与えます。
明王院の境内には立派な鐘楼門があり、参拝者を迎えるシンボルとして存在感を放っています。境内に入る前に鐘を鳴らし、その響きが寺の静寂を破ることなく広がります。
本尊の不動明王が祀られている本堂です。ここでは、多くの参拝者が祈りを捧げ、厄除けや学業成就の祈願が行われています。不動明王の霊験あらたかさに心を打たれ、多くの人々が訪れます。
庫裡(くり)は、寺の台所や住職の居住スペースとして使用されています。この建物も、長い歴史を経て整備され、今日まで寺院の生活を支えています。
明王院へは、JR徳島線の学駅から約5.5kmの距離にあります。公共交通機関を利用する場合は、学駅からタクシーを利用するか、近くのバス停からのアクセスが便利です。また、車でのアクセスも可能で、寺の近くには駐車場が整備されています。
明王院は四国三十六不動霊場の第2番札所として、巡礼者にも人気のある場所です。四国三十六不動霊場は、不動明王を祀る霊場を巡る巡礼コースで、心の修行や祈願を行うための道として知られています。
明王院は、その豊かな歴史や自然に囲まれた風景、そして霊験あらたかな不動明王の存在が訪れる人々を魅了します。特に「鼠不動」の伝説は、地域に根付いた信仰と、長い歴史を物語っています。四国三十六不動尊霊場の一つとして、多くの巡礼者に愛されており、吉野川の堰堤を望む開放的な境内は、静寂と安らぎを提供してくれます。