法輪寺は、徳島県阿波市土成町に位置し、高野山真言宗に属する寺院です。四国八十八箇所霊場の第九番札所として知られており、正覚山の山号、菩提院(ぼだいいん)という院号を持ちます。本尊は涅槃釈迦如来で、多くの巡礼者にとって重要な信仰の場となっています。
本尊は涅槃釈迦如来であり、その真言は以下の通りです。
本尊真言:のうまくさんまんだ ぼだなん ばく
また、法輪寺に伝わるご詠歌は以下のものです。
ご詠歌:大乗(だいじょう)のひほうもとがもひるがえし 転法輪(てんぽうりん)の縁(えん)とこそきけ
法輪寺の創建には、空海(弘法大師)が関与しています。巡錫中の空海が白蛇を目にし、白蛇が仏の使いであるとされていることから、釈迦涅槃像を彫刻し本尊としたことが開基の由来と伝えられています。当初は現在の位置ではなく、4キロメートル北方にある「法地ヶ渓」にあり、「白蛇山法林寺」または「法淋寺」と称していました。
1582年、長宗我部元親の兵火により寺は焼失しました。その後、正保年間(1644年 - 1648年)に現在の場所へ移転し、再興されました。この際、田園に囲まれていることから「田中法輪寺」と呼ばれ、後に住職が「転法輪で覚りを開いた」との理由で、現在の山号と寺号に改められました。
1859年(安政6年)には火災により鐘楼堂を除く全ての建物が焼失しました。しかし、明治時代に入り現在の堂宇が再建され、現在に至っています。
法輪寺には、松葉杖を使って参拝に訪れた人が杖を使わずに歩けるようになったという奇跡の伝承があり、本堂にはおびただしい数の草鞋が奉納されています。
法輪寺の山門は入母屋造の楼門で、仁王像が配置されています。参拝者を出迎えるこの門は、寺の象徴的な存在です。
本堂には、本尊である涅槃釈迦如来像が安置されています。この像は釈迦の入滅時を表しており、十数体の羅漢像が取り囲んでいます。2014年には1年間にわたり本尊が開帳されました。次回の開帳は5年に一度行われ、2020年2月15日が最後の開帳日でした。また、本堂の右脇陣には薬師如来坐像、左脇陣には釈迦如来坐像と弁財天が祀られています。
大師堂は、本堂のすぐ隣に位置しており、2014年から開帳されています。巡礼者が弘法大師に対する信仰を深めるための場所です。
本堂の右前には青不動明王が鎮座しています。この像は、矜羯羅・制多迦童子を従えた半跏趺坐像で、修繕を終えた後に再び祀られました。
山門を入ると、左手に手水場があり、そこから本堂まで続く参道が広がります。本堂の右隣には大師堂があり、参拝者の休憩所や納経所も設置されています。休憩所の左手には鐘楼があり、静かに時を告げています。
法輪寺は、弘法大師が高野山奥の院御廟で入定されている際に、衣替えされた御衣を所有しています。この御衣は、1882年(明治15年)に賜ったものです。
法輪寺へのアクセスは、四国旅客鉄道(JR四国)徳島線の鴨島駅が最寄り駅です。駅からはおよそ4.6 kmの距離にあります。
徳島県道236号浦池南原線および徳島県道12号鳴門池田線を利用し、「南原」交差点から約0.8 kmの位置にあります。
最寄りのインターチェンジは土成ICで、そこからおよそ3.1 kmです。
小豆洗大師堂は、法輪寺と切幡寺の間に位置し、空海が農民を助けた伝説が伝わる場所です。水不足に苦しむ農民を救うため、空海が小豆を洗った水を加持し、清水を湧出させたとされています。この伝承に基づき、周辺の家々では12月24日の夜に小豆粥を炊く風習が残っていたと伝えられています。
所在地:徳島県阿波市土成町水田字金屋
法輪寺は第九番札所として、以下の札所に挟まれています。
これらの霊場を巡ることで、多くの巡礼者が精神的な癒しを得ています。