地理
横須海岸は、小松島市横須町から金磯町にかけて広がり、太平洋に面した場所に位置します。地元では「金磯海岸」や「横須・金磯海岸」としても知られ、海岸の北側には小松島競輪場があります。また、東側には四国八十八箇所霊場第十八番札所恩山寺の奥之院「金磯弁財天」があり、この地域は弁天山としても親しまれています。
かつては、「横須の松原」として四国十二景のひとつに数えられていましたが、現在ではその松林の規模は縮小しています。それでもなお、海岸線に残る美しい自然と歴史的な価値は訪れる人々に豊かな情景を提供しています。
歴史
日本初の定期航空便
1922年(大正11年)には、大阪府堺市(大浜海岸)と徳島(横須海岸)間で、日本初の民間定期航空便が就航しました。このことは、横須海岸の歴史において特筆すべき出来事として知られています。徳島と関西を結ぶこの航路は、日本の航空産業の発展においても重要な役割を果たしました。
横須海水浴場の閉鎖
また、1974年(昭和49年)までは市内唯一の海水浴場として「横須海水浴場」が開かれていましたが、現在では閉鎖されています。それでも、この地は海水浴や海岸散策を楽しむ場所として親しまれ続けています。
交通アクセス
横須海岸へのアクセスは、公共交通機関を利用することができます。JR牟岐線の南小松島駅で下車し、そこから徒歩で約20分の距離です。また、小松島市営バス「競輪場前」で下車し、徒歩約10分でも到達可能です。
金磯弁財天
概要
金磯弁財天(かないそべんざいてん)は、徳島県小松島市金磯町に位置する仏堂であり、四国八十八箇所霊場第十八番札所「恩山寺」の奥之院にあたります。本尊は弁財天で、古くから地元の信仰を集めています。この一帯は「弁天山」と呼ばれ、仏教と自然が調和した神聖な場所です。
伝承
金磯弁財天には、平安時代前期の延暦年間(782年 - 806年)に空海(弘法大師)が修行中に発見したという伝承があります。空海は、この地で海上に龍燈を見つけ、弁財天と一晩法話を交わしたとされています。伝説によると、弁財天は夜明けと共に白龍となり海中へ帰ったとされています。これを機に、空海はこの地に弁財天を祀り、その後、この場所が信仰の地として発展していきました。
蓬莱山とアコウ
金磯弁財天の近くには、蓬莱山と呼ばれる丘があり、そこには亜熱帯性植物のアコウが自生しています。このアコウは、徳島県の天然記念物に指定されており、訪れる人々に珍しい自然環境を提供しています。歴史的にも重要な場所で、幕末には多田宗太郎によってこの地に弁天山砲台が築かれ、地元の防衛に貢献しました。
前後の札所
金磯弁財天は、四国八十八箇所霊場の一部として巡礼者に親しまれています。金磯弁財天は第十八番札所「恩山寺」の奥の院であり、第十九番札所「立江寺」に続く札所となっています。
まとめ
横須海岸は、自然と歴史が交差する場所として、徳島県小松島市の観光地の一つです。また、近くにある金磯弁財天や蓬莱山のアコウなど、歴史的・自然的な見どころも豊富にあります。かつて四国十二景のひとつとして名を馳せたこの地は、現在でもその魅力を保ちながら、訪れる人々を引きつけています。横須海岸を訪れた際には、ぜひ金磯弁財天や周辺の自然環境を楽しんでください。